この記事は masawada Advent Calender 2021 の14日目です。
昨日は aereal さんでした。
こんにちは。
今回も「私は id:masawada の父です」という
フレーズからスタートさせてください。
先日まで、テレビ朝日系列にてドラマ:「和田家の男たち」が放映されていました。本日はそのノリで私の父、つまりmasawadaの祖父について取り上げたいと思います。
父は東京都新宿区西早稲田の生まれ。都電荒川線・面影橋駅近くにかつてあった日本そば屋「やぶ重・本店」の五男として生まれました(そのあたりは過去の記事にも記しています)。
大学卒業後、会社勤めの時期もありましたが、まもなくに独立。当時数多くの宣伝広告用ロボットを企画立案し、まさに「飛ぶ鳥を落とす勢い」の活躍をされていたロボットプロデューサー:水野俊一氏と組み、氏のディレクションのもとでロボットの機構部分を設計・製作する仕事に就きました。
ロボットと言っても、コンピューターも、まともなアクチュエーターも無い時代です。それでも水野氏はロボット設計についての先進的なビジョン、優れたプランニング能力、さらには営業力をも加えた類い稀な才能を発揮し、大手企業や広告代理店からの依頼を受けて広告宣伝を目的にした「ロボット」を理想的なカタチで次々に実現されました。
あいにく、水野氏のご活躍や功績を検索してもなかなか当時の資料が出てきません。しかし私のおぼろげな記憶や体験をたどるだけでも、相当数の大規模案件をこなしていたことが分かります。
・野菜ロボット(味の素提供。数々の野菜ロボットが街をパレード)
・東芝「光速エスパー」ロボット(初代と二代目)
・「ゲゲゲの鬼太郎」ロボット(ネズミ男がステージで楽器演奏)
・大阪万博「太陽の塔」胎内の稼働モビール(岡本太郎氏デザイン)
・電気通信科学館(当時)の自動制御ロボット(群れを成して自走)
・マリリンモンローを模したロボット(サイボット)
・坂東玉三郎を模したロボット(同上)
・東映「ゴジラ(1984年)」向けのゴジラロボット
ロボットの製作工程において、具体的には、水野氏が全体のプランニングを行い、電気回路部分を設計。父は機械で動作する部分を設計・製作するという分業制になっていたようです。もちろん毎回多くの人たちが製作に関わっていました。水野氏と父が組んだのは、上記一覧のうち、前半5件の仕事についてと思われます。
大阪万博では、岡本太郎氏がデザインした「太陽の塔」の胎内に吊るされた巨大な稼働式モビールを製作しました。このとき、父が大阪に長期出張して製作に取り組んでいたのをおぼえています。
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以降は水野氏と父によるロボットの代表作のひとつ:「光速エスパー(二代目)」を見てみましょう。
「光速エスパー」はSFヒーロー物の漫画が原作。1967年からは日本テレビ系で実写版のドラマが放映されました。ドラマのスポンサーは東芝。東芝はエスパーを(「さざえさん」以前の)マスコットキャラクターに据えていました。
下の写真はいまも長野県松本市に残っている東芝系電器店のシャッターです。
当時東芝は東京・銀座の銀座通りに面した一等地にショールームを展開していました。エスパーのロボットはこのショールームにおいて稼働する状態で展示されていました。子供たちはショールームで等身大の(いや、大人よりも大きい)エスパーと握手をしたり風船をもらったり出来ました。私もショールームでエスパーと握手をしたひとりです。
初代のエスパーロボットは、一見するとブリキ缶のような金属系のボディーで、人間がテレビドラマで演じていた本物のエスパーとはかけ離れた姿でした。そこで二代目は大幅なリファインを実施。ウェットスーツに使われる柔らかなラバー系の素材を用い、より人間らしさを高めます。しかも、その二代目は専用の「近未来的な乗り物」に自動的に乗り降りするという高度な「技」を披露するのでした。いまから半世紀以上も前のことです。
内部を見てみましょう。ギアを含め、機構部分はほぼ別製品。台座部分には真鍮の板材。上部には軽量化のためかアルミ部材を多用していることが分かります。
次の写真は「二代目」の特徴であるラバー系素材のボディースキンです。この外皮部分だけでも気が遠くなるほどの製作費がかかっていたと、父から聞いた話です。
「光速エスパー」側面の様子。ラジコン(無線)制御でしたが、当時銀座通りを走る都電による電気スパークから不定な電波が発生してロボットが誤作動し、大変苦労したそうです。
そして最後の写真は圧巻の「エスパー専用コミューター」。優美な外装はFRP(ガラス繊維強化樹脂)で製作。東芝のロゴ(当時)が懐かしいです。
コミューターの駆動部分はホンダの軽自動車を解体して流用。つまりエンジンで走行します。そのままでは早い速度が出てしまうので、一番ギヤ比の低い「バックギア」で「前進」する仕組みにしたそうです。
凄いのは、エスパーがコミューターの後部からリモートで乗降できることです。重さ数百キロの巨体が倒れることなくコミューターに乗降するわけですから、当時としては相当な技術が要求されたことと思います。
その後、コミューター製作風景の写真が出てきました。真ん中が私の父、つまりマサワダさんの祖父です。写真ではショートホイールベース化させたオリジナルのシャシーや、電気制御のステアリング装置などを確認できます。
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エスパー製作後も水野氏は各方面で活躍。圧縮空気で稼働する小型のアクチュエーターを開発し、これをロボットの顔の部分と連携させて「ヒトのように滑らかに表情が変化する」ロボット:「サイボット」を創案。ギターを演奏する「マリリンモンロー」や博物館で展示された「坂東玉三郎サイボット」など、当時多くの話題を集めました。
いっぽうの父は、ロボット製作中には莫大なギャランティーが飛び込んでくるものの、その製作期間にはムラがあり、私たち家族を安定して養えないという不安を持つことになります。このためロボット関連はそれまでに製作したモデルのメンテナンスを担当するにとどめ、とある通信機器会社の協力会社として通信機器の組み立て配線業務へと舵を切りました。
なお、父の組み立て配線は恐ろしいほど欠点率が低い(=不良品をほとんど出さない)ことから、まもなくのうちにより大きな通信機器会社に引き抜かれ、和田電機株式会社を設立。「堅実な町工場を経営」してゆくことになります。
1台毎にまったく新規製作となるロボットを組み上げていたのも凄いですが、その後は芸術的に美しい「束線組み上げ技術」を身に付け、ハンダ付け作業はキレイで誰よりも早い、しかも欠点率は他社に較べて格段に低いと、私には到底マネのできる能力ではありません。
いま思いますと、誰に習うわけでもなく手がけたものを「最高の仕事」にしてしまう、まさに「 masawadaの祖父こそがエスパー(超能力者)」だったのでは?という話でした。
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追伸:
本記事執筆中に、海外のサイト「cyberneticzoo.com」にて水野俊一氏のロボットを紹介するページが見つかりました(しかも動画付きで!)。
このページに出ているのは、前述した気圧式アクチュエーターで稼働する、氏の後期の作品「サイボット」についてのものです。そのサイトに出ている他のロボットたちとは一線を画す仕組み。当時の水野氏の先進性を伺い知ることができます。
ページではご本人の姿を見ることもできます。私が中学生の頃、コルベットを運転して拙宅に遊びに来てくださった風景を思い出します。
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おまけ:
2013年の masawada さん。楽しそう。
長文にお付き合いくださりありがとうございました。
アドベントカレンダー、明日は stefafafanさん です。
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