和田哲哉 -LowPowerStation-

ステーショナリープログラムと信頼文具舗を運営している和田哲哉のブログです。

Wadavent Calendar 「和田とそば屋と観光バス」

きょうは id:kamawada さんが作成された、和田という姓を持つ人だけが書き込めるアドベントカレンダー「Wadavent Calendar」:

www.adventar.org

への参加記事です。
 
私の名前は和田哲哉。文房具の情報サイト「ステーショナリープログラム」の運営を起点にして、オンラインショップ「信頼文具舗」の経営など。以前には本なども出しています。 id:masawada の父です。
 
さっそくですが、私の和田の直近のルーツ。つまり父方の実家は、東京・早稲田の都電荒川線「面影橋(おもかげばし)」駅前にあった「やぶ重(やぶじゅう)・本店」という日本そば屋でした。やぶ重は伯父が後を継ぎ、同じ建屋にはもうひとりの伯父が経営されていたお寿司屋「おもかげ寿司」も併設されていて、私が子供だった昭和40年代~50年代の記憶では、それはそれは賑わっておりました。(いずれも店じまいをされて現在は残っていません。) 「やぶ重(ただし漢字の薮重ではない)」はこの面影橋の本店を元に「のれん分け」したお店がいくつかあったはずで、いまでも関東のどこかで皆さんがお店を続けられているかもしれません。
 
では和田家はどこから来たかと言いますと、長野県の善光寺さんから十数キロほど山奥に入った「柵(しがらみ)村 ※現在は戸隠村と合併」に住まう、30代近く続く和田家の本家からだと父には教えられました。長野は蕎麦の産地ですので蕎麦のノウハウを持って(?)東京でおそば屋さんを始めるというのは至極ありそうな話に思えます。実際、東京都内で古くに営業を開始したおそば屋さんで長野県やその周辺のご出身のかたは多いと聞きます。また、そば屋は増えてしまったからと、後発組には中華料理店を始めた人も居たそうです。
 
話を元に戻します。本家が30代続くと言うことは一代をざっくり25年として750年ですから、初代は西暦1355年。鎌倉時代の末期に限りなく近づきます。まさか一族を絶たれてしまった和田義盛にゆかりが有るとは言わないでしょうと父に話したところ、「ある。」と真顔の回答が。これはいずれ確かめに行かなければいけないようです。 

さて、柵村の周辺をGoogleMapで俯瞰すると40km近く離れてしまいますが諏訪湖に近いところにも和田村というのがあります。どうやら長野エリアには和田さんが多く居そうです。その和田村をウェブで調べると、鎌倉時代の武将「和田義盛」の一族が逃げ隠れた、あるいはゆかりのある場所などの記述も見られます。しかしこのあたりになるとマユツバもの。和田義盛氏一族は鎌倉時代に根絶やしにされてしまったはずですし、よくあるご先祖ファンタジーのような気も。 
 
まぁとにかく、長野には善光寺さん、諏訪なら片倉館などありますから、機会を見て観光がてら、ご先祖様の地を巡ってみたいものです。 
 
さきほどの「やぶ重本店」。とても美味しいお蕎麦屋さんでした。このお店で私の一番の好みは「カレー南ばんそば」。片栗の入ったカレールウを日本蕎麦の汁(つゆ)で溶き、具は薄い豚肉と細く切ったタマネギ(お店によっては鴨肉になることも)。通常、カレー南ばんと言えばうどんを注文する人が多いかもしれません。蕎麦ですとカレーの汁を吸ってしまい、出前が届く頃には固まってしまいますから。そう、カレー南ばんそばはお店でいただくものです。ただでさえ出来立てのアツアツおそばに、カレーと片栗という強力な布陣。やけどスレスレで美味しくいただきます。いまでもあの味が忘れられなくて、都内でそば屋さんを見つけるごとにカレー南ばんそばを食してみる私です。
 
話が脱線ばかりで申し訳ございません。最後にもうひとつ、和田のネタを。各地で和田の名の付く地名や商店が気になりますが、これは珍しい「和田バス」です。「和田観光」とかではなく「和田バス」というストレートさに惚れます。走行中に見かけ、追いかけ、パーキングエリアで「捕捉」に成功しました。(そしてなんと長野ナンバーでした!)
 
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駄文をお読み頂きましてありがとうございました。2016年が皆様にとって良い年になりますよう!…それでは失礼します。