和田哲哉・LowPowerStation

考えて使う・楽しく使う

「道具」って言葉、難しいよね!

けさ、とあるニュースサイトにこんな一文が。  

  

~ クルマを道具として考えている人なら1600ccで十分ながら、趣味の対象として購入しようと思っているなら20万円高くても2000ccを選んだらいい、 ~  

  

この文章では、お金を掛ける場面において「 道具 < 趣味 」という位置づけになっていると読み取ることができます。分からなくもありませんが、自分の場合「道具」ってとても特別で、道具にこそお金を掛けたいと考えるほうなのです。あえて道具と趣味を比較するのであれば、私の場合は「 道具 = 趣味 」でしょうか。  

  

道具という言葉を「業務を遂行するうえで使用する用具・用品」と定義づけるとしたら、道具の良し悪しがそのまま仕事の成果に直結するわけで、私ならば、なんとしてでも良い道具を備えておきたいし、ときに高価なものであっても気にしません。このため私のサイトやブログ等の中でも「ここはお金を掛けたい」という例えとして「道具」の表現を充ててしまうことが多々あります。

しかし、世の中の多くの人において道具の認識ってけっこう違うのだと、ショックを受けることが何度かありました。辞書には「生活の便のために用いる器具の総称」との記述もあります。それは「目的の用事をこなせれば充分」の意味だと言えなくもありません。

  

私にとっての「道具」:

・仕事をベストに遂行するための用具・用品

・仕事の結果に影響を与えるのなら高額なものでも構わない

・モチベーションのため敢えて高額の物を選ぶ時もある

・良い道具は往々にして美しい

  

私の認識とは対極の「道具」:

・日常生活のための用具・用品

・とりあえず用を足せればよい、必要最小限のもの

・できるだけ安いほうがよい

・見かけなど気にしない  

  

あえて極端な2例を示しましたが、どちらも間違えではないでしょう。つまり「道具」は、人によってまったく違う意味合いに取られてしまう、危険性の高いキーワードであることが分かります。

  

ウチは物を作る会社でしたので、会長(父)に連れられてハンダゴテやニッパーやピンセットの調達に(当時は電子機器の製作に使う工具のお店が大量に出店していた)秋葉原に向かうと、それはそれは真剣勝負の様相で、子供の頃の私の印象として神聖な儀式のようでした。こんな背景があるものですから「道具」への気持ちが高まってしまうのも仕方の無いことなのです。・・・だからと言って、相手の人に「きみは私の道具だ!」って口説いたら、殺されますがね。